Tuesday, March 29, 2005

Ajudem a população de Boane

Date: Thu, 24 Mar 2005 09:34:35 +0200
Subject: FW: Ajudem a população de Boane a publicarem este assu nto
Este final de semana fui visitar usn amigos em Boane, na zona da Radio Marconi.

conversando com os vizinhos da zona e miudos que frequentam a escola que ali por perto esta, fui dito o seguinte:

Senhor tente nos ajudar porque nossas criancas andam com medo de frenquentar a escola principalmente os que estudam no periodo da tarde por caminharem quilometros para chegar a casa e por seguinte;

O senhor conhece a senhora dona daquela ultima barraca no radio marconi?

Eu respondi que não. e eles ( residentes )disseram;

a senhora MONICA é uma pessoa conhecida no seio do bairro como vendedora de orgaos humanos ha bastante tempo atras e nunca sofreu nenhuma investigação porque o seu marido é policia ( guarda fronteira ) no Ressano.ela esteve calma durante uns anos.ela criou um rapaz até uma serta altura, posterioremente matou-o porque estava mal de financas comprou uma viatura vermelha 4x4 e assim ela comecou com o negocio de orgão.

há dua semanas um senhor foi morto na zona e ficou sem os seus orgaos e coracao.houvimos dizer que os o coracao era para um transplante a pedido de um contacto do marido na vizinha Africa do Sul, e que o proprio marido é quem faz a troca na fronteira porque goza de regalias por ser guarda fronteira.

NB:por favor ajudem este povo que vive neste arredor da provincia mandando uns agentes para uma averiguação destes factos

obrigado

José de Abreu


Wednesday, March 16, 2005

臓器売買事件

臓器売買事件 モザンピーク共和国ナンプラ市で聖母修道院の修道女がなぜ臓器売買事件に関わったかを説明します。 ナンプラ市に起きている子供の拉致、殺害、臓器売買の事件を知りました。聖母修道院の院長、マザーマリア・ジュリアナの以下の便りが身近に伝えています。 内戦後、南アフリカ、ジンバブエ、ブラジル、アジア、ヨーロッパ等からたくさん人々がモザンビークに来ました。モザンビークの人々は、外国から人々が来たことで、モザンピーク共和国は発展すると思って、期待は大きくなりました。 また、かなり以前から、度々子供が消えることを聞いたことがあります。ラジオや新聞でもそのニュースはありましたが、噂話にすぎないと思いました。 しかし2003年7月から、修道女は、すぐ近くのナミコポ地区に起きている事件に関わることになりました。とある若者が行く場所を間違えて、聖母修道院に子供を売りに来たのがきっかけでした。それから、「家の無い孤児」ホームで働いた経験があり、聖母修道院にたまたま来ていましたシスターエリルダ・ドス・サントスと共に調べ続けました。 聖母修道院はナンプラ市外にあります。ナンプラ市からナコラ市へ行く主要道路から3キロメートル離れたところに聖母修道院はあります。その2キロメートル手前に、コンボニ宣教会の神学院、1キロメートル手前に、空港の裏口があります。聖母修道院と空港の間に、南アフリカの“白人”と呼ばれる300ヘクタールの土地があります。 2003年夏からシスターたちは調べ始めました。犠牲者の家族からの証言や、空港のとなりにあるナミポコ地区と聖母修道院の周辺で起きている事件のことを可能な限り調べてから、ナプラ市の警察に訴えましたが、ナンプラ市の警察は事件を解決するためにはなにもしなかったので、2003年年末シスターエリルダ・ドス・サントスはモザンビーク共和国の司法省へ訴えました。 それでモザンビーク共和国の司法省から係官が調べに来ました。同年12月、シスターエリルダ・ドス・サントスは初めてブラジル、ポルトガルのメディアに事件のことを伝えました。2004年2月末、モザンビーク共和国司法省の出した調査結果は、決め手となる証拠は見つからないというものでした。 モザンビーク共和国政府も、ナンプラ県知事も、これ以上調べようとはしませんでしたので、調査の結果を待っていた国民と修道女たちは、ブラジルやヨーロッパのポルトガル、スペインなどのメディアの要請に応え、外国のいろんな団体の協力を受けることになりまた。それで、この事件は国際的に知られることになりました。 その時、2004年の春、修道女たちは4回も命が狙われたことがありましたが、奇跡的に助かりました。しかし調査に協力していたルーテル教会のブラジル人宣教者ドラン・エルディンゲル氏は殺され、犯人はまだはっきりとされていません。 ところで、臓器売買事件が初めて公にされたのは2002年10月からです。消息不明になっていた12歳の女の子が死体で見つかりました。死体には心臓、肺、腎臓がありませんでしたが、だれからも何も調べないまま葬られました。それからも臓器のない死体が見つかりましたが、やはり同じ扱いをされました。 次いで、修道女たちの調査によると、2003年9月から2004年3月まで、50人以上の子供が消えました。その中で死体として見つかったものには臓器と目はありませんでした。 さらに5月になって、やっとナンプラ市から70キロメートル離れた町の警察は、殺された親子の死体から臓器が抜き取られている事を初めて認めました。幾つかの事件 2002年10月12日午後3時に12才の女の子が、バナナを売るために友達と一緒に町へ向かいました。町に行く途中で出会った2人の若者がバナナを全部買うと言いました。それで、友達は家に帰りましたが、この12才の女の子はバナナの代金の支払いをもらうために若者についていきました。しかし夕方になっても家には帰らず、行方不明になりました。次の日家族はこの12才の女の子を探し続けました。しかし12才の女の子はナミコポ村で死体として見つかりました。死体の臓器は腎臓も目もともに消えていました。ところが警察は死体を家族に渡しただけでした。 2003年2月~3月にナンプラの空港の隣で死体が発見されました。警察が呼ばれましたが、警察は死体を調べることなく、すぐ葬るよう命令しました。この死体も目も脳もともに取り除かれていました。暴力的に命が奪われた事が十分分かるはずなのに何故か警察は、その事件をもみ消しました。 同じ頃、空港の隣の村人は、自分の畑に行く途中の道で何か異臭を感じました。3日目に白人が飼っている犬が、人間の骨を口にくわえていたのを見て、近くを探してみますと、死体は、頭の格好から女性であることが分かりました。どこかからか運ばれてきたものだろうと推察されました。 同年12月28日、教会へ向かっていた11歳の子供が消えました。消えた子供の親は悲しんで、消えた子供を探し回りました。2004年1月10日、葬儀を用意していた時、消えた子供がひょっこりと現れました。その消えた子供の証言によると、近所のおばさんに呼ばれて、与えられた食物を口にしたところ、すぐ眠ってしまったそうです。その家に8日間閉じこめられて、他の所に運ばれたそうです。ある日その家の人が窓を閉めるのを忘れたので、これ幸いとばかり窓から逃げたそうです。子供は、拉致された事も家のことも警察に訴えました。 若い女性を、ある人が「同じ方向に行くから」と言って車に乗せました。しかし、途中で、自分の健康について尋ねられて、健康であると確かめた後、違う道を通ることになりました。彼女は、ものすごく恐ろしく感じて、車が速度を緩めた時、車から飛出して逃げました。朝になって、泣いていた彼女を助けた近所の人は、彼女をすぐ近くにあった聖母修道院に連(つ)れて行きました。 15歳の男の子がパンを買いに行った時に、ある白人に、『たくさんお金がもうかるよ」と誘われました。大きな音量の音楽をながし、外から見えないガラスの車に乗せられて、ほかの子供と共に、200キロメートル離れたナカラ市へ運ばれました。そしてぜいたくな家の部屋に他の大勢の子供達と共に閉じこめられました。時々、4、5人の子供たちが外へ連れ出され、二度と帰ることはなかったそうです。この男の子は、ある日、パンを買いに出された時、逃げました。200キロメートルも歩いて、自分の家があるナンプラ市へ戻りました。拉致した人と車と閉じこめた白人の家主も分かりましたが、誰も逮捕されませんでした。 2004年のある日、ある家族のもとに親戚のものだといって、4人の兄妹達を連れ去るという事件が起こりました。何日かして、この哀れな4人の兄妹達の母親も、気苦労のため心筋梗塞で倒れて死にました。 これらのいくつかの出来事を知ることによって、この事件の真相がお分かりになったと思います。私たちはこのモザンビークの臓器売買事件に強い関心を持ち、私がよく調べたところ、モザンビークだけではなく、残念ながら、臓器売買事件の存在はあまりにも第三世界で広がっています。スペイン語だけで調べたにすぎませんが、中米、南米、東のアシア、東ヨーロッパまで、臓器売買の事件が広がっているらしい。 書いていた出来事は、メディアと人権のために働いている人々のおかげでいくつか小さな光が見え始めました。 2004年春、この災いのための祈りをするため、ナンプラ市の大聖堂で行列と大きな集まりが行われました。そこで、キリスト教徒、イスラム教徒、伝統的な宗教の人たちは、同じ願いを持って祈りに参加していました。 同じ2004春、ヨーロッパ議会のポルトガルの三人の議員は、ヨーロッパ議会に訴えました。その結果、ヨーロッパ政府は、ヨーロッパを訪問していたモザンビーク共和国の政府にモザンビークの事件の調査費として千万ユーロを与えると大統領に伝えました。同時に、ローマで、人々から集められた17万人分の署名をモザンビーク共和国チサノ大統領に渡されました。 2004年4月今まで恐れから黙っていた国民たちは、思いがけない出来事に励まされました。ナンプラ市で、モザンビーク共和国女性と子どもの権利を守る機関が、三日間子供と女性と子供の拉致、臓器売買について、いろいろなワークショップを行いました。その中に警察も招かれて、いろいろな話し合いがありました。もちろん、これで何も変わることはありませんでしたが、市民たちはとても励まされていました。その時から人々は勇気を出して、周りの子供をもっと熱心に守ることをしています。この2004年夏の何ヶ月の間で近くにいた人のおかげで子供が救われたのです。 2000年の4月にアムネスティはポルトガルから調査チームをモザンビークへ送りました。ほかのNGOもこのキャンペーンに加わりました。 この4月にも、UNICEFは「この世の中で、53の諸国で、人間の売買は行われている。その中で一番多いのは子供です。女性がその次です・・・」と発表しています。 2004年5月初めごろ、シスターエリルダ・ドス・サントスは自分を守るため、モザンビークを出て、母国ブラジルへ戻りました。 夏の間、ナンプラ市で事件は少し減りましたが、他の地方で多くなっていると分かりました。8月の便りで、モザンビーク共和国の司法省は二度目の調査結果をだしましたが、今のところ秘密にされています。 2004年9月の便りのよると、モザンビークの臓器売買事件を止める活動がつづいているヨーロッパで、すでに25万人の署名が集まっています。日本でも、私の友達の協力のおかげで600人以上の署名が集まりました。モザンビークの臓器売買事件を止めるために、協力する人が必要です。そこでhttp://www.benedicite.net/mozambique/pdf/signature.pdfに載っている署名簿を印刷して、だれでも、ご自分の家族やお友達の署名を集める事ができます。 情報の伝達と署名も大事ですが、人々が事実を知ることによって深く目覚めて、天の助けを願うことが大事です。その助けは、私たち自身の心の底に働きかけます。人の心が変わるならば、この世の中もかわるでしょう・・・ 問い合せ先 モンセラートの聖母・四方庵、 シスターミリアム 722-1413広島県御調郡久井町羽倉3200-1 tel/fax 0847-32-7019 メール:mozambique@benedicite.net
印刷してパンフレットを作る。

モザンビークの子供たちのために私たちにもすることができます! モザンビークにあるナンプラ市の聖母修道院の修道女たちは、一人の若者が間違えて、修道院に子供を売りに来たのがきっかけで、ナンプラ市で起きている子供の拉致、殺害、臓器売買の事件を知りました。 修道女たちの調査で、2003年9月以降50人以上の子供が行方不明であることがわかりました。行方不明の後死体で見つかった子どもには臓器と目がありませんでした。「家出の孤児」ホームで働いていたブラジル人のシスターエリルダ・ドス・サントスは聖母修道院のシスターと一緒に、犠牲者の家族の証言、ナンプラ市周辺で起きている事件の証拠などを集めました。そして、ナンプラ市の警察に訴えましたが、ナンプラ市の警察は事件の捜査にあたる様子がありませんでした。 そこで2003年12月、モザンビーク共和国の司法省へ訴えました。モザンビーク共和国の司法省から係官が調べに来ましたが、結果は決め手となる証拠は見つからないというものでした。同年12月に、この事件は国際メディアに知らされました。最近になってやっとナンプラ市から70キロメートル離れた町の警察は、殺された親子の死体から臓器が抜き取られている事を初めて認めました。しかし子供の拉致、殺害、臓器売買の事件はまだ続いています。むしろモザンビークの他の地方に広がる事になりました。 私たちはこのモザンビークの臓器売買事件に強い関心を持ち、人間の臓器を売買の対象とするという非人間的な行為を直ちにやめることを強く願うものです。それで私たちは国際的な協力でこの事件を全世界の人々に知っていただき、正義が全うされるための協力を得る努力をしています。その結果、ポルトガル人の議員がEU議会に訴え、EU政府はモザンビーク政府に外交的に働きかけています。 私たちは日本の皆さんの協力も得て、さらに国際人権高等弁務官にもこの事実を訴えたいと思っています。そこでモザンビーク共和国大統領宛ての署名用紙を用意しました。今皆さんの協力がこの人身売買、臓器売買をとめるために必要です。モザンビーク共和国の福祉のため是非署名に協力して下さい。印刷された署名用紙以外にホームページからの署名もできます。また、署名用紙はホームページからご自分で印刷できます。この件の新しい情報は、ホームページを見てください。 平和が皆さんとともにありますように!

問い合せ先
モンセラートの聖母・四方庵、 シスターミリアム
722-1413広島県御調郡久井町羽倉3200-1
tel/fax 0847-32-7019
メール:mozambique@benedicite.net
印刷してチラシを作る。

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